さらば歯周病

さらば歯周病 まえがき

 姫路の街は、今日も中都市としての賑わいをみせています。白鷺城を眺めながら中学・ 高校時代を過ごした私は、歯科医として開業するに当たって、この懐かしい地を選びました。 以来、二十余年の歳月が経ち、幸いにして歯科医らしい体をなすに至っています。人は髪に 白いものが混じるようにならないと信用されないとはよく言われることですが、私も五〇歳 を超えてようやく多くの患者さんに恵まれ、日々、まずは順調な診療生活を送っています。 むろん、ここに至るまでには、それなりの苦労と幾多の曲折があり、それらが今日の私を支 えていることについて、そろそろ何らかの形にしておきたいという思いがありました。本書 を著すことになった動機でもあります。

 月平均、百名の来訪があれば成り立つ開業医の世界で、私のところは現在、約七百名とい う数字を記録しています。それだけで、もう飽和状態の多忙を極めているように思われるで しょう。が、実のところ、あまり忙しそうにはしていないのです。それどころか、河田歯科 医院の院長は仕事をしているようにはみえない、とさえ言われるくらいです。実際、私は、 診療に当たる時間が一日約三時間という、暇そうにみえてもしかたがない過ごし方をしてい ます。あとは、カルテを眺めたり、パソコンに向かっていたり、患者さんと話をしていたり、 およそ治療以外のことに時間を使っているのです。すべての歯科医が理想とする姿は、この ようなものに違いありません。大勢の患者さんを抱えながら、なおかつ仕事で楽をすること ほど恵まれた状況はないでしょう。それを可能にしているのは一体何かという、その答えを 示すのが本書の最終的な目標であることは、しっかりと前置きしておきたいと思います。

 ここに至るまでの苦労、曲折と先に述べましたが、それは主に、私の終生の課題である 「歯周病」(すなわち「歯槽膿漏」)との二十余年にわたる闘いについてのものでした。 いまや歯周病は、「八〇二〇(ハチマルニイマル)運動」(厚生労働省と日本歯科医師会が 唱える、八〇歳で二〇本の自歯を残そうという運動)が物語るように、「国民病」とまで呼 ばれてその対策が急がれています。歯の萌出がとまった時点、つまり一〇代の後半にはじま り、年代と共に初期、中期、末期と進行し、六〇歳以上ともなると、歯槽膿漏歯がみられな い人はまずいないという現実は、この病が歯の喪失原因の五〇%を占めていることの証明、 かつ、それに悩んでいる人がいかに多いかを示すものであり、これから悩まねばならない予 備軍を含めれば、ほとんどすべての国民の関心事であるべきでしょう。日本人の寿命が飛躍 的に伸びた現代において、いよいよ深刻な問題となっているわけですが、未だ決定的な原因 が特定されておらず、また、その有効な治療法がみつかっていない事実について、なぜそう なのか、なぜ結論を出せないでいるのか、そして保険制度や歯科医療そのものの問題を、と くと説明することも本書の目的の一つです。

 二十余年にわたって私が行ってきたのは、歯科こそは予防医療が大事との観点から、理解 ある複数の患者さんを対象に、月に一度、「歯石」を取りつづける、というものでした。そ れがもたらした成果は、レントゲン写真やカルテそのものが証明する真実と言ってよいかと 思います。みずからの臨床経験をもって辿りついた確信は、単なる「説」や「論」ではなく、 はっきりと結果としてあるだけに、揺るぎないものとなっています。すなわち、私の歯科医 としての経歴は、「歯槽膿漏の元凶は歯石である。歯磨きだけでは守れない」という結論に達 するまでの闘いの歴史と言ってよいかと思います。その中身について詳しくお話しすることが 本書の最終目標に達するための道筋になるでしょう。が、むろん歯科全体の話も欠かすことは できません。歯の健康とは、「虫歯」をも含めた、あくまでトータルなものだからです。歯と いうものの知識を深めていただくためにも、まずは虫歯の話からはじめるのが順序かと思われ ます。

 本題に入る前に、私が本書を世に問うに際しては、中学・高校時代の先輩で作家の笹倉明 氏に企画・構成の任を引き受けていただいたこと、内容については私にすべての責任がある のは当然ながら、氏の厚意と助言がなければなし得ない仕事であったことを深い感謝ととも に特記しておきます。

歯科医 河田克之